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開催にあたって

CHOREOGRAPH LIFE 自然の思想、思想の自然。

posted: 2013/09/13

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序文

今年の5月26日、小平市で住民投票が行われた。小平の豊かな雑木林を通り、玉川上水を貫通する幅36メートルの巨大道路を、総工費250億円かけて建設するという半世紀も昔の計画が実行に移されることを巡って、その是非を問う住民投票であった。それは、東京都ではじめての直接請求による住民投票であったこともあり、全国的に大きな注目を集めた。

哲学者・國分功一郎さんは、小平市の住民によるこの運動を、精力的に応援されていた。僕はその様子を見ていて大いに共鳴するところがあった。特に、「反対」するのではなく「提案」する、という國分さんの姿勢に強い共感を覚えた。

知性というのは本来、対話的に立ち上がるものである。だからこそ、地方行政と住民とのあいだの、さらには自然環境と人間とのあいだのコミュニケーションの契機をつくりだそうとする國分さんの運動は、実に意義深いものであると思う。

僕は岡潔という数学者の言葉に憧れて、数学をはじめた。岡潔は「数学とは情緒の表現である」という印象的な言葉を遺した、世界史を代表する数学者である。今年、岡潔の故郷である和歌山県は紀見村を幾度も訪れ、その美しい山の風景に、改めて岡潔の「情緒」の起源に触れる思いがした。

その岡潔を敬愛した小林秀雄が、『蘇我馬子の墓』というエッセイの中で、田舎道を歩きながら大和三山を見上げ、その沁々とした美しさに「万葉の歌人らは、あの山の線や色合いや質量に従って、自分たちの感覚や思想を調整したであろう」と書き綴っている。知性というのは斯様にして、環境や他者との対話を通じて、立ち上がるものである。

計算(computation)という言葉には、com(共に)-putare(考える)という意味が潜在している。数学と哲学という違った道を進みながら、僕は國分さんとならば、とことん「共に、考える」ことができるのではないかと思った。そして、その場としては、閉じられた教室ではなく、開かれた森が相応しい。

今回、僕は國分さんに問いを投げかける。お返しに國分さんは僕に、また問いを投げかける。そして、僕たちはその問いを抱えたまま、森に出る。問いを抱え、森を歩きながら、僕らは「共に、考える」。これは、知性というものの本来、思考というものの本来に立ち返った、「思索の方法」の実験でもある。

ぜひご縁のある皆様と、森で出会えることを、楽しみにしている。

森田真生(独立研究者)

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